鳩ヶ谷氷川神社の参道に佇むモダンな外観のバレエスタジオ。
となりの駄菓子屋、浪花屋さんには通っていたけれど、バレエスタジオは男子禁制の神聖な雰囲気があり、子供心ながらに近寄りがたい別世界だった。当時の習い事といえば、習字とそろばん。バレエを習っている女子はそれだけで、格の違う存在。そんな思い入れのあるバレエスタジオの指導者である大岩先生に長年、憧れと畏敬の念を持っていた。
大岩先生とバレエの出会いは6歳の時、当時通ってい東京阿佐ヶ谷の保育園時代に遡る。経済的な理由でバレエを離れた時期もあり、続けることの困難を実感して、さらにバレエへの思いが強くなった。大手総合商社にお勤めだったOL時代、夜間に研究生として通った谷桃子バレエ団で生涯の恩師と巡り合う。
1972年に放送されたテレビドラマ「赤い靴」により空前のバレエブームが到来。同じ頃、鳩ヶ谷市には鳩ヶ谷中央公民館が坂下町に竣工。その公民館ホールで大岩静江バレエスタジオの前身となる「たけ(竹)の会」バレエ教室を開催。旧姓である武本の「たけ」と竹を掛け合わせ、竹のようにしなやかにという思いを込めた。公民館での生徒は多い時には120名。土曜日、日曜日で6つのクラスを開いた。現存する公民館ホールのバエには当時のバレエ教室の生徒さんの汗が染み付いている。
結婚、出産、育児。家庭かバレエの二者択一を迫られるような時もあった。出産後もダンサーとして復帰したい、バレエを続けたいという強い気持ち。その思いを支えに、家族の理解によって道は開けていった。
鳩ヶ谷市時代には41回の文化祭に参加。鳩ヶ谷でバレエを普及させバレエの歴史を作った。現在までバレエを教えた生徒の数は500人を超える。
川口市との合併後に川口市クラシックバレエ連盟を設立しその代表に。バレエ文化発展への意欲はますます旺盛だ。昨年は川口市芸術祭に参加し、雅楽とバレエダンスを融合させた舞台を創作。その舞台はご息女で、国際的に活躍するダンサーである大岩ピレス淑子さんが演出、振り付けに当った。