2015年
2月
11日
水
数10年ぶりにに成田山をお参りしました。
幼少の頃から成田山新勝寺の「身代わり御守り」を首にかけていました。
ゴム紐で首にかけられるよう祖母の手で細工された御守り。
「事故に遭ってもこの御守りが割れて代わりになって守ってくれるから」
そんな祖母の教え。
半信半疑でしたが習慣的に首にかけていました。
小学校に上がり、年齢を重ねると御守りを首からかけていることが恥ずかしく思え、いつの頃からかカバンに付けるように。
中学生になると御守りをカバンにブラブラさせるのはファッション的にどうかと生意気なことを考えるようになり、いつしか御守りはカバンの奥底に。
それでも、成田山の身代わり御守りを手放すことはありませんでした。
いつしか、御守りを持たないと忘れ物をしたような気持ちになるようになっていました。
鳩ヶ谷本町には成田山にお参りする成田講があり、毎年のように家族の誰かがお参りに行っていました。お参りに行けない時でも、御札や御守りを講の世話役さんに頼むことが出来たので、定期的に御守りを新しくすることが出来たのです。
何かの節目には家族で出かて米屋の栗蒸し羊かん、鉄砲漬けを買い込むことも楽しみでした。
そのお陰か大病することも、大きな怪我をすることもなく年月を重ねることが出来ています。
自分の半生を振り返り、お守りのご利益を考えると、幼少の頃、祖母から御守りを与えられた経験に集約されます。
ドラエモンでノビタ君がお婆ちゃんに優しくされたように。
常に誰かに見守られているということで無茶な行動を慎み、危険回避能力が育っていきました。
多分。
現在もカメラバック、旅行バックには古い成田山の御守りを忍ばせております。
しかし、地域内で成田講の活動も停滞し、個人的に成田山にお参りする余裕が何年もなかった。
色んな意味でイッパイ、イッパイだったから。言い訳ですが、、、。
御守りのパワーも弱まり、お礼参りが出来ないこともずっと気がかりでした。
今年は娘の前厄ということもあり、思い立っての成田山参り。
いつもは誘っても遠慮する父も成田山には特別な思い入れがあるのか、二つ返事で同行。
老人を動かすのも成田山パワーでした。
節目の時に家族でお参りをするということ、
お札を授かるということ、
その意味を改めて考えさせて頂きました。
合掌