笠原欧文堂さんの建物解体が進みもうすぐ更地になりそうです。
その隣りにある市神社がどうなるのか心配です。
かつて鳩ヶ谷宿では三と八の付く日に市が開かれ、その商売の神様としてこの市神社が祀られてきました。
30年位前までは三八の市と言って、近隣の農作物や行商の方が露店を出していたことが私の記憶にもあります。
江戸からも近い鳩ヶ谷宿の周辺は農業地域が広がり、安行には植木、また見沼通船堀により水運もありました。交通の要所でもある鳩ヶ谷宿にそういった農作物が持ち込まれ市が立ち活況を呈していたのでしょう。
今は寂しい商店街ですが、かつての鳩ヶ谷地区商店街の活況の象徴が市神社だったのです。
なお、
鳩ヶ谷宿で市が開かれたのが享保十六年(1731年)。
現在の市神社が正確にいつ建立されたかは不明ですが、
ご神体の鏡には「奉納天保九年」(1838年)と刻まれているようです。
また、天保十五年「日光御成道分間延絵図」には市神社が描かれています。
これらの記述は市神社の横にある川口市教育委員会の説明に記載されております。
話しはそれますが、1838年は何があったかというと、
岡田以蔵、大隈重信、山縣有朋が誕生し、
幕末の日本を動かした志士達と共に歩んだ市神社です。
また、日本で写真を広めた上野彦馬が長崎で生まれたのもこの年、
写真文化の発達と共に歩んだ市神社でもあります。
↑こじつけですが(笑
歴史的に価値ある市神社が末永くこの場所で商売の神様として鎮座されることを願います。